スポンサーサイト

  • 2017.03.13 Monday
  • -
  • -
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

一定期間更新がないため広告を表示しています


繰り返す忘却

100518_1707~0001.jpg

初めてのことではなし別に驚きはしないのだけれど読み終わった本を棚に収納しようとしたら既に同じものがきっちり鎮座ましましていて、なるほど道理で時折作品のイメージに既視感めいたものがあったはずだと。今回のそれはカルヴィーノ「レ・コスミコミケ」。いつぞやふらっと覗いた古書店で何となく購入した文庫。あ、そういやこれ読んでなかったよな、とその時は思ったのだったけれど。

随分前にジャック・フィニィの、古典と言ってよい「盗まれた街」でも同様の経験。この時は実際に内容に覚えがなく読んでいて呼び起こされる記憶もなかったので本棚に同じ本を発見して驚いた。既読だったのか。

二度読んで二度とも愉しいのだから得をしたと考えてもいいはずだけれども最初から再読のつもりなら何ももう一冊買うことはない訳で、そういう意味では損だろう。

しかしどうせまた書店でこれは確か未だ、、、などと既刊書を手にしたり躊躇なく買ってしまったりするのではないか。この間もジェイムス・ティプトリー・ジュニア「故郷から10000光年」を矯めつ眇めつして買ったような読んだようないやいやいや、と帰って本棚を探ったらやはりというか意外にもというかちゃんと並んでいたし同じ作者のこちらはまだ読んでいないと疑いもしなかった「星ぼしの荒野から」も肩を並べていた。むむう。

思い返すに上記二冊だけではなくて他の本でも同じことがあったはずで、、、しかしそれが誰のどの作品だったのかがもう記憶にない。

だからどうだというような事共でもないけれどな。何だか口惜しいではないか。


黄昏に消えた紙幣

昨日地元の古書店で見つけてしまったのだった。ディーノ・ブッツァーティ「ある愛」。前回発見した時同様、安いとは言いかねる値段にやはりその場では見なかったことにしてしまったのだったが、、、駄目だ。気にかかって眠れぬ一夜を過ごし、結局本日購入。出版が40年前、当時の定価は650円也。現在はプレミア価格、店頭にて5,500円也。それでもこれはどうやら安かったらしい、調べたらネット市場では10,000円前後にまで高騰していた。まあ悪くない買い物をしたと思うことにする。

しかしどうにかならんのかな。ブッツァーティは今文庫で出ている一冊を除きどれもみな古書でしか手に入らない上どれも高価。他、ジェラルド・カーシュの朝日ソノラマ文庫「冷凍の美少女」なども、、、いや酷い邦題だがこれも4,000円!程の値が付いている模様。たかが本一冊、されど本一冊という事情。

ついでというかこの際自棄というか藤原新也「空から恥が降る」と松浦寿輝「半島」も同時に購入、こちらはそれぞれ500円と1,000円でまあ妥当な値段か(「半島」は以前図書館で借りているので既読なのだが現在のところ著者の作品中一番気に入っているので手許に置くのも良かろうか、と)。しかし古書三冊で7,000円の出費が痛くないはずもない。

091011_1719~0001.jpg

黄昏の空を見上げてため息一つ。呑んだ挙句に終電を逃しタクシーに乗ること一晩二晩と思えば、、、まあ諦めもつこうというものだが、、、いやこういう考え方自体の善し悪しについては問わないこととして、稽古再開の今夜を呑まずに帰亭した事実についてのみ自賛し今夜は読書の幸福に浸るとする。


高慢な偏見か

090708_1500~0002-0001.jpg
早朝の僅かな時間、今夏最初のクマゼミの声。鹿苑寺の杜から。時を過った鶯の囀りもまた。午前中は音楽のように雨音。今日もまた読む。

モームや漱石が賞賛していたと聞く「高慢と偏見」の作家、ジェーン・オースティンのもうひとつの代表作と称される「エマ」。19世紀英国の階級社会、上中流の社交界を背景に風刺階虐を忍ばせた滑稽で些か饒舌なビルドゥングス風俗ロマン。

正直さして面白くはない(笑)。大仰でもってまわった説明的な対話の言い回しと余計な内面描写の連綿に鼻白む一方、とまでは言っては批評が過ぎたものかどうか、、、緩慢な進行に度々ページを閉じつつも物語に身を委ねる退屈が妙に心地良くないこともない。

この話、確か前世紀末にグウィネス・パルトロウ主演で映画化されていなかったか。観ていないのでうろ覚えだけれど。そういえばハーディーの「テス」がナスターシャ・キンスキー主演だったおかげでそこそこ観られる映画になっていたこととか、、、

いかんこれではまた冗長になって以下削除だ。「エマ」の退屈、これからまだ読む。

人間的要素/他

090708_1533~0001.jpg
先だって発掘済みの今では絶版と思しき新潮文庫版のサマセット・モーム短篇集四冊を集中して読んでみる。比較的知られている「雨」や「赤毛」の収録されていない地味な作品群。英国の植民地を舞台とする所謂南洋物が中心。

差別視はしていないのだが作中に差別的な用語が少なからず見られるのは時代の罪か。それにしても訳文としても拙いように思われる。南洋の●人は時勢を鑑みてそれなり許容するにしても支那の●ャンコロはちょっとなかろうよ。

まあ作家は当時から「二流作家群の先頭」に立っていると嘯いていたらしい。古典の風雅というよりも通俗の皮肉と揶揄が水際立って一部チェーホフ・ユーモレスカにも通低する読後感。意地の悪い文士たちもいたもんだ。

裏表紙のリストを見ると38年前!の新潮文庫には14点もモームの短篇集がある。読まれなくなったんだなあ。これも時代の変遷か。おめでたい人間σ(^-^;)が戯言を連ねても読者のいる現代、出版不況とはこれまた通俗の皮肉かしらん。

読書と時、風土

090704_1603~0002.jpg
折から梅雨の空であり天候は安定せず、いずれ晴れたにせよ暑気と湿気にしてやられること必定で外遊びには向かない明け暮れ。呑まない時間は風の通る畳に寝転ぶか開け放った障子の桟に凭れるかして古い本を読んで暮らす。
例の如く納戸から掘り出してきた著作ばかりであって数的にも趣味的にも選択肢の限定された感がまた妙味。

司馬遼太郎「竜馬が行く」、「歌行燈・高野聖」泉鏡花、「杏っ子」室生犀星、「おとうと」幸田文、「仮面の告白」「金閣寺」三島由紀夫、等々。初読再読の別はともかく古都に在る時間と空気が行間から立ち上る。

鏡花は読みづらいし三島はやはり好みではないし、しかしそれでも体験として愉しめるのはこれら書物の来歴、またこれらを嘗て手に取っただろう今は亡き人にまで想いが及んでいくからか。蔵書印の魔術。

とは言ったものの、アンドレ・マルローの「人間の条件」には挫折した先程。気分転換に何か、、、と宮部みゆきやら京極夏彦やら、何故だかこの辺りも此方でしか読まない。

酒や食物同様に本にも時と風土があったものか。例えば今時の京都なら森見登美彦、、、か?まあいつか試してみるとしよう。

爆髪!

久々にやってしまった。ジュンク堂でハードカバー30,000円オーバー。奥泉光、堀江敏幸、前田司郎、池澤夏樹、保坂和志、ポール・オースター、文藝(特集柴田元幸)、道の手帖(特集倉橋由美子)、他自然科学系プチ専門書数冊。

小説やエッセイはともかく、サイエンス、テクノロジー、宇宙、脳、といったジャンルの書籍が少々高価なのである。そうそう部数の出るものではないからと理由の想像は難くないのだが。安価で出回るのを待っていてもなかなか出くわさない類のものなので、また何より見つけた時読みたい時に購入しておかないと手に入りづらくなってしまう場合も多々あるものなので(出版時の先端研究成果であればこそ突然意味の無い内容と化してしまう事もあり得る)、「これだけあればどれだけ呑めるか」などと要らぬ思案が邪魔をしないうちに衝動のまま。

またJ. D. SoutherやTower Of Powerの新譜など、手許に欲しいCDも無くはないのだけれど昨今は店頭で試聴してしまえばそれっきりである。BGMを流して読書の趣味はないしクレジットを睨みつつ聴き込むほどの熱さもない。だいたい音楽に使うよりも酒に使(以下数行削除省略)。

旅や外遊びの時を除けば読むものがないと落ち着かないとはもう習癖。本がなければ新聞でも良いがそこにそそられる書評など出ていればまた後日の憂い。タウンページの熟読でもしてみようかと。

090208_0416~0001.jpg

買ってきた本をテーブルに積む。呑みながら吟味。何々、と手に取った保坂和志のエッセイに没入する居候藤崎。ツボに入ったらしい。爆髪。

1970年からのギフト

京都で発掘した文庫本を読んでいた。頁をめくるとはらりと落ちるものがある。はて、と摘みあげてみると何の花かは判らないけれど、押し花。

何年の間、ここで眠っていたものか。本の発売年月を見れば1970年とある。その当時のものと推察するに、どうやら38年の永きに渡ってひっそりと挟まれたままでいたらしい。

すっかり色褪せ一見すると古びた紙か干からびた虫のなれの果て(笑)かと見紛うけれども、よくぞこれまで朽ち果てることなく長い時間を超えてきたね♪とノスタルジックな気持ちを誘われる。

081206_2208~0001-0001.jpg

彼女(?)を届けてくれた本はモラヴィアの「二人の若者」。かつて本国イタリアで多数の著作を禁書とまでされた作家の、当時としてはインモラルな小説であると思えばこの花を挿したのは理知的で芸術家肌であったと聞くとうに亡き大叔母篤子でやはりあろう。面影も記憶にない、しかし若き日の写真を見るなら美しかったひとからの、時を超えた贈り物。しばらくは頁をめくる手が止まり、昭和の時代に想いが彷徨う。

用賀駅前のカフェ・Chez Luiで今、「戦場のメリークリスマス」ピアノヴァージョンを聴きながら。生涯独身であったらしいそのひとの、どんな想いがここに在ったのか、そして今また在るのかとつい感傷。

BGMはクリスマスナンバーが続く。
1970年からの、クリスマスプレゼント。

「岳」/他

ジュンク堂には行く度ついついあれこれ手が出てしまうので何とかフロアの移動はしないで済ませたいのだけれど、何かと誘惑に弱いもので今回も結局各フロアをチェックしてしまい予定外の買い物。コミックの棚は覗くまいと思っていたのに手に取ればやはり読みたくなって石塚真一「岳」7巻までまとめて購入。



一気に全部読み通し、やはりエエなあ山のドラマは!とまたしても想いは北アルプスへと飛ぶ。ほとんどのエピソードの舞台となっている山域が上高地穂高岳周辺、あの辺はかつて何度も訪ね何度も歩いた大好きなエリア。いつぞやのツライばかりだった冬の稜線すら懐かしく、よーし今度は北穂高と涸沢だけでも登りに行こうと読後安直に気が逸る。いやまあ冬はもうやはり嫌だけど(笑)。

主人公島崎三歩の「遠くで見た時ずっとキレイになるんだよ!!頂上まで登った山は!!」の台詞に我が意を得たり♪と、これは山好きなら誰しも思うことだろう。
そしてまた遊ぶというと響きは軽いが「遊び」には「命懸けで」という側面が含まれていなくては心底「遊べる」ものではなく、山ではそれが分かりやすいし、だからこそ山に惹かれるのだなあ。
まあそれは山だけでなく海でも、或いはバイクでもバンドでも芝居でも盆栽でもそうだと言ったら解釈の広げ過ぎ、突っ込み過ぎかしらん♪

        ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

ところで。星野之宣の「宗像教授異考録」シリーズも欲しかったのだが、刊行されている全巻まとめてだと結構な価格。最近は財布にカードを入れないようにしているので取りあえずは見送る。見送らざるを得なかった。良かった良かった。危ない危ない。

        ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

ついでに。ジュンク堂の後に寄ったディスクユニオンでカーヴド・エアの来日公演を知ってびっくり、さらにスウェーデンからトレッティオアリガ・クリゲットも来日すると聞いてますますびっくり。いやいずれのチケットも買いはしなかったけれど(ダリル・ウェイとソーニャ・クリスティーナは生で観たいと思わなくもない♪)、マニアックなファンがいるのだねえ……♪

壜の中の海



野暮用とはいえ一応テレビドラマの仕事なので昨日一日の余裕を見て戻ってきたのだが、とにかく今夜現場へ行けば良いということなので昨日一日余裕は余裕のままとなって日がな一日寝転んで読書。京都ではなかなか出来ない贅沢。

角田光代と綿谷りさの著書を初めて読んでみたが想像通り趣味ではなかったとだけ言っておこう。保坂和志のもう二年前の本だが「途方に暮れて、人生論」はまるで人生論ではなくて、いやもしかしたら人生論なのかもしれないがだとしたら要するに「そんなことわからない」という至極真っ当なことが思考の過程そのままに書かれていて共感しきり。
そういえばもうずいぶん前だが酒場で父親が「人生なんて、どうだっていい」と宣っていたがあれもやはり至言であった(笑)と想起する。

もったいなくてちびちび読み進めているレドモンド・オハンロン「コンゴ・ジャーニー」、実際には極限的な状況の続く旅をユーモアとペーソスに彩られた文章で描いて嘘か真かとにかく面白い。大変なことを書き流し些事を詳述するあたり椎名誠と似ているが明らかにバックグラウンドの差があって博覧強記で知性に勝る(と断言するのも失礼なのは承知だが)こちらの方がお膳立てされた紀行より数段上をいっている、とは正直なところ。まだ下巻に取り付いたばかり、ゆっくり大事に楽しみに。

また先日古書店で発見入手、現在絶版のウィリアム・トレヴァー「フェリシアの旅」も控えている。もったいなくてなかなか読めない(笑)のだが手に入ったのにつまらなかったらヤだもんなあ、と読めないでいるのかもしれなくて……ま、書痴道楽の話である。

さて今夜の現場は横須賀。まだ時間があるので再び寝転び頁を繰る。いやいやさすがにまだ呑みはしない、壜の中の海に溺れるは夜中の楽しみとしなければ。

読む普段読まないもの

081006_2127~0001-0001.jpg
浅田次郎の「壬生義士伝」を読んだについては京都という舞台もあるが「にしや」できみちゃんとの話の内に薦められた為でもある。通常の守備範囲にないものを何故か読んでみたくなるのは京都にまだ出先であるような感覚があるからか。

家の本棚から抜き出した水上勉「五番街夕霧楼」「京の川」、いずれも京の花街を舞台とした小説でありまた執筆された時代もあろう、古風で真っ直ぐな文章が今や却って雅やかで新鮮。井上靖「三ノ宮炎上」もやはり奇をてらわぬ作風王道、敬遠しがちな大家も多いのでこれらを機会に古典の領域に入りつつある作品に触れてみたくもある。
夏の整頓で見つけた高橋和巳の著作も以前なら偏見と先入観に邪魔されていただろうがある時代の証言でもあろうと頁を捲るのが楽しみ。

とはいえ今日購入は森博嗣「すべてがFになる」。最近では「スカイ・クロラ」で話題となった著者のデビュー作だがミステリー系はハードボイルド方面以外あまり知らずこれもまたきみちゃんからのお薦めを頂いて遅まきながら。

昨夜カウンター越しに「壬生義士伝を期待せず読んでその実泣かされた良かったよきみちゃん」云々、彼女のセンスに暫く付き合うも一興かと考えた次第。

写真は昨夜のスナップを軽く、今夜は寝転んでフレドリック・ブラウンの短編集を。いや読みたい本の先送りもまた愉しみであるからして♪

calendar
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< July 2017 >>
sponsored links
twitter!
selected entries
categories
archives
recent comment
recent trackback
recommend
links
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM