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  • 2017.03.13 Monday
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ゑんま堂念仏狂言

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本日午後の下鴨神社の流鏑馬のように勇壮且つ華やかな行事には観光の人々が押し寄せているに違いないのだけれど、千本ゑんま堂で一日から四日に渡って催されている大念仏狂言はあまり知られていないのか観客も多くはなくて地方色が感じられる趣ある祭禮。

昨年観た壬生狂言ともまた違ってしっかり台詞が発せられるゑんま堂念仏狂言ではその代わりでもないだろうが音曲はなく、内容の滑稽もあってまるでコントか漫才か、客席からたびたび上がる笑い声。演目「でんでん虫」などずいぶん愉しいものだった。

また一杯気分でお喋りな地元の爺様が若い衆に上演中やで静かにしてやと窘められている姿など言っては何だが微笑ましくてそれもまたひとつの光景か。

さすがに四夜を通うまではしないけれども、こういう地味な奉納舞台にこそ惹かれるものがやはりある。

岡崎のみやこめっせでは春の古本祭りが開かれていて本日午後は人垣の向こうに流鏑馬よりもこちらだろうと出かけてみるも収穫はなし、いよいよ帯状疱疹と思われる痒み痛みに辟易しつつバスに乗れば金閣寺に近くなるほど渋滞の気味、ひとつ手前のバス停に下りて歩けば陽射しはすっかり夏の気配。

暑い、痒い、痛い、暑い、、、

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25日午後今出川通りをずっと歩いて来て上七軒を抜けようとしたらその辺りから人が増え始め、天神さんに近付くにつれいつもの縁日より賑やかでないのどうしたどうしたと雑踏に揉まれているうち梅花祭だったことに思い当たり、そうだよ何だよ来ようとしてたんじゃん去年も来たじゃん何で忘れてるかね呆れるよ我ながら、今年は結構咲いてるみたいだしお金払って舞妓さんたちのお茶接待受けてみようかな並んでるよなきっと、でもあれ時間帯限られてるんだったっけどうしよあっち覗くだけは覗いてみよかな混んでるけど、しまったなあド忘れもいいとこだ古本市場でかさばる量買っちゃったよ重いしもう腕だるい、そだストロベリーヴァニラだけまずは様子見るかあらやっぱ人気なのねみんな写真撮ってる、えシャッターですかはいいいですよあもちょっと近づいた方が、えー撮りますよはーい、いいですかねこれでああいえいえどうもどれどれわあ向こうはもっと混んでるか、むう本が邪魔だなあ暑いしもう、だいたいおかしいぞこんな風に書くつもりじゃなかったんだのに時制が混乱してないか、ん、大丈夫かまあいいや、止めとくかやっぱりへえ裏の方まで露店、こんなんだ
ったかな梅花祭だけの特別かもなわ古い写真え秩父かいなへえ両神山だ清滝小屋って何これいつ頃の、いくらすんだろな買わないけどさいけね生協寄って豆腐(以下削除)

水墨画と般若心経

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昨日午後、伯母の三回忌法要。菩提所の大徳寺塔頭玉林院、修復成った本堂にて。

法事続きとなった訳だがこの日の法要は無論予定されていたもので、先立って大叔母を見送ることになったは偶々。それにしても菩提所が揃って玉林院、つまりは三日に渡って同じ御住職の法衣読経に焼香をさせて頂くという、これもまた此岸彼岸の縁、巡り合わせの妙ではあるか。

時を待つ暫しに通された本堂座敷に巡らされた襖に水墨画。無学無粋にして鑑賞眼もまた無いと来ては画趣山水と描線に見える年月とにほほうなどと頷いてはみるもののいずれ名のある絵師か上人の筆であろうと推測も覚束ないこと甚だしい。情けなや情けなや。

そして雀の囀りと遠く聞こえる保育園のさざめきに鈴鉦木魚と読経の声。膝を正せば堂内に響く静穏と清音。亡き人の笑顔を想う。

しかしながらひとつ。臨済宗本山で般若心経を聞いては劇団の誰彼の坊主頭作務衣姿が脳裏をよぎる悲しさよ(詳らかな事情はタテヨコ企画HPを参照の事)。情けなや情けなや。

余談。やはり大徳寺の塔頭である芳春院にアンディ・フグが眠っている、とはあまり知られていないことなのだろうか。

一幅

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両足院と号する建仁寺の塔頭が一般公開されているので覗いてみる。襖画や掛軸にはさほど興味を持たないのだけれど長谷川等伯はともかく伊藤若沖、、、この沖の字は三水ではなく二水が正しい、しかし今使っているこの携帯の辞書には登録されていない漢字のようで変換出来ない。一方では顔も分からない昨今の芸能人の名前なんぞに勝手な予測変換までして下さるというのに。見識が問われないかau。

だいたい昨日もえびすと打って変換したら恵比寿、恵比須、戎、夷、胡、エビス、ヱビスとまでは出て来るのに本来使いたかった平仮名のえびす、ゑ、わあ何だこれ、ゑの一文字だけなら変換出来るのか。どうなっておるのだ。ゑびす。この字面が欲しかったのを今になって。この。編集の手を入れるのも業腹なのでもう放っておくが。

思い出して清涼寺、とやってみたらやはり二水の凉、わあ何だ何だやっぱり一文字なら出て来るのか。沖、、、やはり駄目だこっちは。訳が解らぬ。

で。もしやと考え附属内蔵の国語辞典で探してみる、と冲!あるではないか、、、ここまで書いた今更になって。もういやん。

……そんな訳で伊藤若冲筆雪梅雄鶏図一幅、鑑賞して参りました、と。さ。

繁盛

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建仁寺の西に一本道を隔てて恵比寿神社という小さくて地味なお社があり、普段は境内に観光客の姿もなく閑散としているのだけれど昨日10日は年に一度の初ヱビス大祭、年始でもあり商売繁盛の縁起を担ぐ人々の途切れぬ参詣に押し合いへし合いの大賑わい。

今年は連休と重なったため出店屋台が並ぶ門前通りの混雑も一際なのではあるまいか。鳥居を潜れば一方通行は恒例にしてもその鳥居までが既に長蛇の列、そして拝殿に至るまでの牛歩を延々。せっかく出向いたので並んで参拝はしたけれどいやはや何とも時間の掛かるは計算外。

正面で首部を垂れて祈願をしたなら縁起物の福笹を求める人の大勢をすり抜け本殿脇へ、祀られおわすその方の通用口か裏口か、板戸を叩いて念のため、「頼んまっせ!」と声を掛ける。これが通例、ここの約束。お聞き届け下さいましたか、お聞き漏らしの御座いませんよう、恵比寿様♪

さらにまた時間を選べば舞妓装束の美女達による奉納神事も観られると聞くが、いやもう居並ぶ巫女さんのうら若さだけで充分眼福。混雑の具合を想像するだに寧ろ避けるが得策と見た。

商売繁盛祈願に押し寄せる我々俗人続々で、一番の繁盛はここな神社の初ヱビス、とな。

初詣

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何かしら事に当たって神仏を頼むような心掛けの殊勝は持ち合わせていないのだけれどそこはそれ、正月であるからして初詣の物見遊山。遊山などと云っては却って罰が当たろうか。二日午後、昨年同様北野天満宮へ。

表参道は左右を露店に挟まれて歩幅もままならぬ混雑の毎度、それでも本殿前に抜けてみればさほどの人垣ではない。昨年は元旦の参詣だったからだろうか雨模様でもかなりの賑わいだったことを思い出す。

気持ちばかりの賽銭を投げて分を弁えぬ大願祈願、もとより洒落っ気半分、、、いやだからこれでは却って罰が当たろうぞ。手を合わせ瞑目し神妙に頭を下げて神前を辞す。

神籤を引いたらば小吉と出たがいちいち得心のいかぬ記述。むむう。まあ斯様な紙片に惑わされまい、、、信心が足らぬは自明、罰だけは当たりませぬよう。

境内の一角では天満書と称する神前書初、子供達多数を中心に善男善女が筆を奮う。とら。正月。元気。希望。結果。等々。健筆達筆を眺むるに己であれば何と書すか、、、顧みれば自業自得。因果応報。見遙かすならば一攫千金。一挙両得。

罰当たりめが、、、道真公、せめてもの御慈悲を何卒。

晴明神社例祭と桔梗紋

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昨日今日と晴明神社の祭礼があったので巡幸行列の帰宮に合わせて夕暮れに出かけてみる。大仰ではないがなかなかに趣あり。

行列の由来は全く知らない(笑)のだが先頭に幟を立てて幕末維新風装束の少年鼓笛隊、続くは雅楽奏団、神輿に獅子舞、さらに平安王朝風の化粧といでたちに可愛らしい少女たち、稚児さんたち、飾馬たち、鉾、、、と時代祭の縮小版さながら。参道を横切る小路の壮観。

参拝と見物に多数の人はやはり以前の陰陽師ブームのおかげか。あれ以前は地味な社で今ほど整備もされていなかった記憶。立役者たる夢枕獏岡野玲子他諸氏の奉納になる絵馬も多数、いやこの繁盛は誰よりも祀られている御本人安倍晴明の御力であるには相違ない。

境内に植えられた桔梗がちょうど開花期、見れば形は確かにペンタグラムか。陰陽五行の象徴相剋を表すとされ洋の東西または古今を問わず呪術魔法に縁の深いお馴染みの印。本邦に於いては晴明桔梗紋とはよく言ったもの。

もちろん呪術も魔法も信じてはいないが、しかしこの形……御守札の一つぐらいは持っても罰は当たらない、か♪

平安神宮神苑無料公開

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通常は入苑料が必要な神苑の本日は無料公開と聞いたので午後、何年振りかで訪ねてみる。タダだから、ってのは如何にもさもしく思われるだろうけれど以前にはちゃんと木戸銭を払って入っているのだからね。誰へのどういう言い訳なんだか。

入苑無料に加えいよいよ連休だからでもあろう大勢の観光客。写真は泰平閣と呼ばれる橋殿、両脇の腰掛けにも苑池を眺めて休息する人々のずらり。タダだから。ね。そりゃもう。みんな。ええ。

季節を選べば桜や蓮の花に美しいのであるけれど今は微妙に狭間の時期か、萩の紫がまだこれからなちらりほらり。逆光の中に盛りを想って池端にしばし眼を細める。直射日光。うっすらと汗。萩の秋にはまだ遠い午。

水面を渉る飛び石の橋(いや橋とは言わないのだろうな)を視界の右に歩いていたら足を踏み外したか少年が一人、思わぬ池で着衣の半身浴となるを目撃。まだ若い母親らしき女性が苦笑して助け上げるも周囲一同ひと騒ぎ。

まあ暑かったから。亀もいたから。ま。タダだから。関係ないけれど。そりゃもう。みんな。ね。

上七軒朧提灯朧酔

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門扉越しに覗いて以来気になっていた上七軒のビアガーデンへ昨夜。歌舞練場の庭園で浴衣姿に日本髪、舞芸妓さんたちの接待。立居振舞の粋。乙なものであった。

花街言葉も初々しいうら若き舞妓さん、結い上げた島田は鬘か自前か年増(この場合20代後半位を指す)の芸妓さん、袂の扇子も貫禄の姥桜(失礼!)、いずれも眉目秀麗の、芸事のお師匠さん方や馴染みと見ゆる旦那衆の間はもとより団体の観光客や我々のような一見の席までその入れ替わり立ち代わり、宵闇の深まるにつれ提灯の灯も朧、お酌を受ければ酒も進んで気も朧。目尻を下げて全く間抜けな酔っ払いである。

華咲く前の仄かな色香の捨てがたさもあれ、芸事に人生に年季の入った老妓(いや失礼!)さんの話が何より興味深かった。稽古事の厳しさ、お茶屋お座敷の逸話、落籍されて後の身上。人生訓を聞くような。

また妓たちの交わす挨拶や言葉使いに斯界の信義礼節としきたりの美風が思われ、酔いの内にも襟を正して杯を置く。

掲げられた提灯の意匠は上七軒のみの紋と聞いた。暑気払いには贅沢な歴史と伝統がそこに。

ルーヴル美術館展

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あまり絵画鑑賞の趣味はない。展覧会の情報にも疎い。偏愛する画家もいれば大切にしている画集もあるがそれらが例えば美術史のどの辺りに位置しているのか、一般にどう評価されているのか、常識以上のことは知らない。京都市美術館でのルーヴル展-17世紀ヨーロッパ絵画-にもとりあえず目当ては一点。ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「大工ヨセフ」。

画面の一ヶ所に光源を置いて明暗の美しい精緻な写実。それのみが作風ではないが、夜の画家と称される所以。光と陰。初めて接する実物に、寄って子細を引いて構図を眺めて飽きぬその暫く。

もちろん他の展示も観て廻る。人だかりはやはりフェルメール、レンブラント。拾い物はシモン・ヴーエ「エスランの聖母」。その腕の御子と揃って不適な眼差し。麗人。

ラ・トゥールの話を続けるならば、池澤夏樹がエッセイに書いていた「妻に嘲笑されるヨブ」なる作、これも実物を観てみたいのだがフランスは遠い(ルーヴル所蔵に非ず)。来日希望。

京都市美術館ルーヴル美術館展、今秋09/27まで。ルーベンスやプッサンも来ている。それにしてもフェルメール「レースを編む女」、、、小さーい。

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